母の話
こんにちは。
今回はすごく個人的な話をします。私の母の話です。
本日7月1日は母の誕生日なので、少し母の話をできたらなあと思いこの記事を書いています。
母は数年前、死に至ってもおかしくなかった病気になりました。
私が小学6年に日本に帰国した年、ある日起きてみると両親がいなくて、同居していた祖父に母が病院に行ったと告げられました。
母はずっと便秘が続いており、その結果腸が破裂して手術を受けたと後から聞きました。お見舞いに行ったときは母のお腹には縫った跡があり、人工肛門(ストーマ)がついていました。
幸い、体内に便が流出しなかったため命は救われましたが、細菌などが体内を回ると死に至るケースもあるようです。
現在、母のお腹にはストーマはついていませんが、二回手術を行ったため、腸が左に癒着しており、また同じ症状が起こると手術が困難になります。なので命は助かりません。
母が少しでもお腹が痛いと言うと不安で不安でたまらなくなりました。
母が長時間トイレに篭っていると本当に不安で、また破裂したときのような症状になったらどうしよう、と心臓のバクバクが止まりませんでした。
でも母は本当に前向きで、この出来事をきっかけに生活やマインドセットに変化が置きました。
まず、生活。
母は食に敏感になり、それは私達家族の食生活にも影響しました。
玄米が頻繁にでるようになったり、お菓子をあまり買わなくなったり、健康に関する本も増えました。
私も母が手術してから、便秘にならないように心がけるようになり、母の食に関する話にも耳を傾けるようになりました。
私個人の考え方も変わり、食品添加物の本を読んだり、お腹を冷やさないように心がけたりしました。便秘とは少し話がずれますが、特に添加物に関しては注意するようになりました。
食品添加物に関しては、さまざまな意見があるとは思いますが個人的にはあまり摂取しないほうがいいと思います。
私達の世代は親の世代よりも小さい頃から添加物をとっており、その結果どうなるのかは時間がたたないとわかりません。親の世代は子供の頃、今ほど豊富なお菓子やインスタント食品などはありませんでした。将来、添加物の過剰摂取で体に異変が起きても自分の食生活のせいにするしかありません。健康的な生活をおくる上で、添加物を気にすることは必要かと思います。特に私は将来出産する身でもあるため、将来の子供のためにも添加物の摂取を控えるようにしています。
私の実践していることは
・自分でなにか買ったり食べたりするとき、原材料に必ず目を通す
・よくないとされる食品添加物が含まれているものは食べない
の2つです。
1つ目はもう癖になりました。2つ目は100%ではないですが、気をつけるようにしています。ここ何年間かはインスタント系の食品は緊急時以外ほとんど食べていないですし、コンビニの弁当なども食べないようにしています。(浪人時は学問優先だったため、塩おにぎりは仕方なく食べていました、、)
添加物に関してはまたブログ記事にできたらなと思っています。
たまに母は食に関して口うるさすぎることもあるのですが、それは私の将来のことを思っているからであって本当にありがたいことだと思っています。
次にマインドセットです。
命を落としそうになった母は、人生は一度きりしかない、生きているならなんでもできる、というようなプラスな思考を持つようになりました。
その考え方を持っているからか、私の選択を大事にしてくれました。
上京して浪人することやカンボジアに行くことも、私の選択を尊重してくれました。
いつも、「あなたの人生なんだから自分で決めなさい」と言ってくれ、私は自分の進みたい道を歩むことができました。母が口出ししたことはありませんでした。
また、母は新しいことに挑戦することに意欲的で、ブログや朝活、ヨガなど様々なことに毎日挑戦しています。
私がブログを始めたのも母の影響です。母は最近ブログをサボっているみたいですが、、笑
また、母は人に投資するならお金をかけるという考え方を持っていて、私の斜視の手術や矯正、英会話、塾や予備校、習い事にお金をかけてくれました。
英会話では、自分に自信がつきましたし、積極的に発言できるようになりました。
4歳から習っていた(高3で辞めた)バイオリンのおかげで音楽が身近になり、絶対音感が身につきました。
駿台に行けたことで、たくさんの仲間ができ、学問への姿勢が変わりました。
斜視の手術や矯正をしたことで外見を気にしなくなりました。
私にこれだけ投資してくれたことに本当に感謝しています。
逆にモノへの投資をあまりしなかったため、家にゲーム機などがなく、小さい頃はなんで私だけ、と思っていましたが、すべて私のためだったのだなあと実感しています。
いつまた同じ症状になるかわからない不安をかき消してしまうようなプラス思考を持っている母には頭があがりません。
高校卒業と同時に離れ離れになり、浪人を経て一旦実家に戻ったと思いきやもっと離れたカンボジアに娘をやるのはなかなかできないことだと思います。しかし、いつも「あなたの人生だから」と笑顔で見送ってくれました。
母はいつも私のロールモデルです。私も将来は母のような人になりたいです。
そして選択の自由があるからこそ、自分が正しいと思った選択をして、大学をでたら両親に恩返しをしたいです。
マミー誕生日おめでとう。体には気をつけてね。
また父の話もしようかな~と思っています。
また更新します。いつも読んでいただきありがとうございます。